卓越した技術と抜群のトレンド感覚で絶大な支持を集める、人気カルジェリストを取材するこのコーナー。
今回は、カルジェルと非常に長い付き合いのある田賀美鈴先生のご登場です。
美大時代のイギリス留学をきっかけにネイルキャリアをスタート。
イギリスで出会ったカルジェルを日本に持ち込み、ジェルネイル普及の立役者となりました。
10月29日(月)に発売される、最新作「爪飾手帖~技巧の巻」の作成を終えて、改めてカルジェルの魅力や今の心境などを伺いました。
瞬く間に広まったソフトジェル
——田賀先生が最初にカルジェルと出会った経緯をお聞かせください。
私がイギリスにいた頃なので、1998年の話ですね。
イギリスに到着したのが3月くらいで、その3ヶ月後にはネイルサロンでバイトをしていました。
カルジェルが来たのは、確かその年の冬だったと思います。
だから、1999年にはもうカルジェルに出会っていますね。
日本ではネイリストという造語で一括りにしますけど、イギリスのサロンでは、マニュキュアリストとネイルテクニシャンに分かれていました。
マニュキュアリストはエステシャンの資格を持っている方も多く、ハンドマッサージから甘皮の処理、ネイルカラーを塗るところまで、主にケアを中心とした施術を行います。
テクニシャンは造形がメインで、ジェルやアクリルパウダーで爪の伸長を行ったり(ネイルエクステンション)、アートを施したりするのが主な仕事です。
私が滞在していた当時は、同じ大学に日本人が多かったので、なんとか現地の友人を作って英語を話せるようになりたかった。
それで、ホストファミリーの紹介で近所の方にネイルアートをしていて、サロンもそのつながりで紹介されました。
日本では考えられないことですが、1日だけトレーニングを受けて、そのままテクニシャンとして現場に出されました。
その時私を雇ってくれたイギリスのサロンでは、スタッフのグレードが4段階あって、階級はお客様にはっきり分かるように制服の色で別れていました。
最初は時間かかって下手だから安いというところから、だんだん経験を積んで育っていくんですね。
一番下っ端の訓練生は10本ネイルエクステンション1,000円くらいでした。
私がサロンに入った当初、現場ではアクリルパウダーシステムが1種類、ハードジェルだけでも3種類ありました。
でも、私がいる間にどんどん増えて、一時はジェルだけで7種類くらいまで膨れ上がったり…。
オーナーが良いと思ったものをどんどん取り入れるのが災いしたんですね(笑)
イギリスはハードジェルの種類が豊富だったですが、ニオイはきついし、硬化熱はあるし、剥がせずに爪がボロボロになるしで、なかなか良いシステムが見つからなかったんです。
オーナーが良いものを手探りで探しては、ダメな既存品を淘汰する日々が続いていました。
サロンのメンバーもハードジェルに慣れてきたころに、突然オーナーがカルジェルをもってきたんです。
「うちのジェルは全部これにする!ハードジェルは捨てなさい!仕事を一旦キャンセルして、カルジェルの教育を受けさせる!」って強引にカルジェルに切り替えたんです。
当時の私たちにとっては、溶けるジェルは初めてで、カラージェルをつけたらポロっと取れたりするのではないかと心配していました。
オーナーの英断で、メンバー全員が教育を受けたおかげで、先入観なく素直にカルジェルシステムを受け入れることができたんです。
そしたら、導入後半年で売上4倍です!
私たちスタッフというよりは、お客様からの反応がとても良かったです。
まず、お客様につけたジェルネイルが+1~2週間ほど長持ちするようになりました。
そのおかげで来店間隔が伸び、隙間に新規のお客様を入れることができるようになったんです。
それで、売上が2倍になって。
さらに、お客様の爪が傷まないことでオフやケアなどのお手入れを時間短縮することができました。
1日5人が限界だったのが、10人に伸びたんです。
私個人の売上でも、当時2.3倍になりました。
爪が傷まないことは、特に反響があって、口コミでご新規が来店されるようになりました。
首都ロンドンから1時間半離れたノッティンガムから更に30分のところにある住宅地のサロンだったんですが、その田舎のサロンがスタッフを増やしたんです。
元々フルタイムで2人だったのを、お客様が増えたことで、慌ててスタッフを増やして教育して8人体制になったんですね。
当時、お客様から言われた感想は「薄付きで自然である」ということでした。イギリスのお客様は、いかにも「ジェルネイルつけてます」といった感じではなく、「自爪がキレイ」というのがステータスでした。
その価値観がカルジェルにハマったのだと思います。
あとは、長持ちする、爪が傷まない、ニオイがしない、柔軟性があるから爪が折れない。
この5個がものすごくお客様に受け入れられました。
当時のカルジェルは、赤とかベージュとかニュートラルな色味だったこともあり、ヨーロッパですぐに広がりました。
逆に、アメリカではロングが流行っていて人気が出なかったんです。
アメリカではネイルはファッション。ヨーロッパでは、ネイルは身だしなみ。
その違いもあって、ヨーロッパでは自然な仕上がりのカルジェルとぴったりハマったんですね。
——では、それからはずっとカルジェルを使われているのですか?
そうですね。
アクリルパウダーを使っていたのは最初の1年にも満たないです。
ただ一方で、サロンで最後までハードにこだわっていたのも、私でした(笑)。
アートを書く時に、ハードのほうが長さが出せるのでよかったんです。
当時は、コンペとかにも出場していたのでハードは必要でした。
サロンではカルジェル以外は買ってくれなくなったので、実費で買ってたんですけども、ニオイがきついと言われて以後使えなくなり…。
もうそれからは、カルジェル1本に絞りました。
その後、私のコンペ優勝を機にロンドンのサロンさんと繋がって、そこでモガブルックの社長と出会い、日本にカルジェルを持ち込む形になりました。
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